■Imitation Blue■

 6.無意識の記憶



 どこかで、誰かが泣いている。小さな、泣き声。
 誰かの名を呼び、すすり泣く頼りないその声。
 誰かを、求め。何かを、求め。
 ただ怯えて泣く事しか出来ない自分を、厭うその声。小さな存在。
 護りたくて……。そう、ただ護りたかった、幼い無垢な生命(いのち)。
 それでも護りきれなかった。
 そして、結局、全てを奪った。
 何もかもを。
 もしかしたら、いつか叶える事が出来たかもしれない、その小さなささやかな願い事も。大事な誰かも。
 たった一人、僕の決断で全てを壊した。全てを奪った。なのに、その僕がまだここに居る。生きている。
 どうして。
 どうして、僕だけが今ここに居るんだ。ここに居るべき筈の命を消してまで。
 願ったのは別の事。望んだのは、もっと別の結末。
 小さなその存在を。ただ護りたかった、それだけの筈だったのに………。


 不意に目の前が明るくなって。僕は一瞬自分の置かれている状況を把握出来なかった。
 目の前に広がるのは、変わらず白い天井。
 夢………?
 漸くそう判断する。
 酷く断片的で抽象的で、そして散漫的な、夢とも現とも判断しがたいそれに僕は暫く身動きを取れないでいた。
 恐らくは失った筈の記憶が見せたのだろうそれは、けれど何も答えを僕に与えてくれてはいない。
 混沌とし始める、思考。
 やたらと耳につく小さく唸る機械の作動音が、僕の焦燥感を煽っていく。
 不意に思い出す。
 束の間の眠りに就く直前に浮かんだ、一つの言葉。
 会いたい人がいる。
 ほんの一瞬の間に、けれど強く強く僕の意識に刷り込まれたその思いは、無事に再び僕の前に現れてくれた。けれども、問題はその先だ。
 一体誰に会いたいと言うのだろうか、僕は。
 失くした記憶の遥か奥深くに眠っているのだろう、その答えを。僕は何としてでも見出さなければならない。根拠もなく、けれど強くそう思った。
 見つけなければ。必ず。
 自分自身の存在すら赦し難く、激しい嫌悪感に囚われていた僕は、新たに得たその思いに正に縋り付いたのだ。
 否定しても否定しても、それでも此処にこうやって存在している僕に、今しばらくの存在意義を与えてやる事が出来るから。
 勿論、そうする事で自己の存在を正当化しようなんて気は更々ない。それでも。
 生きる事、そして己の命自体を嫌悪し始めた僕には、何か縋る物がないと前を向く事が出来なかったのだ。
 どんなに終焉を望んでも。それは得られる物ではなかったから。そんな状態でも、生きる事を強要されてしまった今、僕には何か一つでも良いから、縋る物が必要だったのだ。
 そして、これは予感。
 縋り付いたこの思いが、何らかの形で叶えられたとしたら。その時こそが、きっと解放の時。終焉の時。
 そう信じて。
 僕はこの忌まわしい自分自身と、今しばらくの間共に過ごす事を自分自身に課したのだった。


 それから、数日後。
 僕は再び資料室の端末の前にいた。前回見つけたホストへの接触ルートを、もう一度辿る。
 嫌悪する自分自身の過去と、再び向き合う為に。そして、それによって過去の自分を少しでも取り戻す為に。
 嫌悪感やら拒絶感は相変わらず僕の内側でグルグル回り続けていたけれど、それでも端末の目の前でそれこそ倒れ込みそうな状態にはならずに済んでいた。勿論それにはかなりの努力を要していたけれど。
 一体何を求めて忌まわしい記録と相対しているのか未だに僕には掴めてはいない。それでも、何度も何度も同じ記録を読み返す。それこそ空で読み上げることが出来そうな程。
 と。カーソルが少しずれて、思った場所とは違う記録に画面が飛んだ。
「おっと失敗……」
 思わずそう呟き、元の画面に戻そうとした次の瞬間。
 手が止まった。
 偶然覗いた記録。けれど、それこそが僕の求めていた物だったと、気付く。
 大体にして今までが迂闊だったのだ。自分の事を知ろうとするのに手一杯で、それ以外の事柄に気を回せていなかっただなんて。
 目の前に、一人の人物のデータが並んでいた。右隅に小さく表示されているその人の写真。画像の粗い、はっきりとしない写真だったけれど、それでも。
 僕が会いたい人。いや、会わなければならない人。
 それはきっと、この彼だ。
 それは確信。
 会わなければならない。何としてでも彼に。
 その先に何が待っているのかなんて知らない。知らなくても別に構わない。今の僕には、彼に会う、ただそれだけにきっと意味がある。
 そしてそこから何かが始まるのだろう。
 だから。だから、会いに行かなければ。
 もう一度目の前の記録にザッと目を通し、僕は端末の電源を落とすと資料室を出る。そして忙しなく思考を開始させたのだった。




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