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第13代理事長 上杉 茂裕
1971年

第14代理事長 山本 進
1972年

第15代理事長 前田 稔
市民憲章雑感
玉野市立総合文化センター館長 宮川 澄夫

市民憲章というものが、全国各地でつくられはじめたのは昭和30年ごろからのことであるが、今ではもう市民憲章をもっている市は208を数え、これから制定しようとしているところが106市もあるという。  特に昭和40年代になって市民憲章をつくったところが特徴的に多い。  このことは、戦後の日本がめざましい経済発展をとげ、国民所得が向上するにしたがって物は豊富になり消費生活は旺盛になり、たしかに生活はゆたかになったが、その反面において人間同士の孤独や疎外という現象がしだいにひろがり、それはやがて社会生活の秩序を乱すような問題に発展するという、いわゆる経済発展のひずみに対する反省であると私はおもう。  何所のまちでもそうであるが、その地域における市民性や連帯感の喪失を憂い、明るい人間関係の回復をねがって快適な環境の町づくりを進めようという運動は次第に強まっているが、同じ生活の基盤をもつその地域の人びとが、そのねがいをあつめて作った自治と自律のさだめ、それが市民憲章というものであろう。わが玉野市では、昭和45年に市政30周年を迎え、そのテーマが「明るい市民性のかん養」であったことを契機として市民憲章が生まれたが、これを熱心に提唱したのが青年会議所の皆さんであった。  当時、この記念事業を総括担当していた私は、青年会議所といえば国際情勢や政治経済問題などを中心に勉強する若いエリート、という印象をもっていたため、一見次元の低そうにみえる市民憲章制定の必要を力説されたのには驚きもし、感激したものである。  もっともこれは、JCに対する私の認識不足からあったことはいうまでもないが、高い教養をもつこの若い人たちが社会開発の視点をみずからの郷土におき、明るい町づくりを市民の側から進めようという意欲と姿勢に、深い感銘をおぼえたものである。  もともと市民憲章というものは、どの町のものを見てもその表現は単純素朴であり、誰にでも理解できるし、解りきった人間生活の道しるべである。  その解りきった、今さらそんなこと、と思われることが案外守られていない、あるいは守られなくなったためにおこるさまざまな社会的混乱、それは法律や規則によって規制し取締ることになっていても、それ以前の問題として人間一人ひとりの自律という心構えがより大切であることもまた、解りきったことに類するであろう。  つまり、解っており、知っていても守れないという世情をお互いに正すことが、郷土における社会開発の源であるという若い人たちの発想は、核心にふれる貴重なものであるとおもう。 先日も市民憲章推進運動の全国大会が開かれたが、集まった150市のほとんどのところで青年会議所がこの運動の中心になって活躍しており、市民憲章を普及して意識の改革を呼びかけるという啓蒙運動から今では、金のある者は金を、力のある者は力を、暇のある者は暇をと、それぞれのもつ能力を出しあっての実践活動を活発に行っているところも多い。  わが玉野市でもけっして他市のJCにおとらない運動を続けており、特に先日寄贈された見事な憲章碑は市民の注目を浴び道行く人びとに「この憲章を生活のささえとしましょう」と、いつまでも呼びかけることであろう。  いづれにしてもこの種の市民運動は、市民の共鳴と共感を呼び、これが実践活動にまで盛りあげることが肝要であり、そのためにはJCの精力的な推進運動の渦は、やがて各種の団体からさらに市民の一人ひとりへとひろがっていくことであろう。  若さと英知とたくましい行動力をもつ青年会議所の皆さんが明るい明日の社会を築くための土壊づくりに、根気と忍耐と反省をつみ重ねながら活躍して下さることを心から祈るものである。

 
1973年

第16代理事長 山根 敬則
市内一周自転車専用道路建設運動趣意書
理事長 山根 敬則

玉野青年会議所は明日の玉野市が豊かで住みよくなるために、本年度より最重点事業の一つに、市内一周自転車専用道路の建設運動というプロジェクトに取り組んでおりますが、ご承知のように自動車の発明は人類にとって、スピード、経済性、利便さ故に画期的なものでした。 自動車を所有することが夢でもありました。目覚ましい経済の発展は国民所得を増大さすと共に大量生産によるコストダウンは、容易に国民が自動車を所有することを可能にならしめました。  しかい莫大に増加した自動車は、非常に多くの交通事故を招いたり、その排気ガスは、公害を発生させたりして今や大きな社会問題となっております。 昨年の玉野市内でも約450件の事故が発生し、11名が死亡し、558名が負傷するという大きな悲劇を生んでおります。この他もう少しで事故になるような事は、恐らくこの数倍は有っただろうと思われます。 確かに自動車は素晴らしいものですが、私達は不必要に乱用しすぎているのではないでしょうか?歩行者天国、ノーカー運動等はその反省であろうと思われます。 もしも車をまったく遮断し、安全に走れる市内一周自転車道路があれば、多くの市民は通勤、通学、買い物等に自転車を使用するのではないでしょうか、自転車の使用は、悲劇的な交通事故や自動車公害の防止にもなり、運動不足の現代人の健康管理上にも、大きなプラスとなり、子供達も非常に喜び、その効果は計りしれないとかんがえております。 我が玉野市、人口に比較し非常に自動車の多い街であります。私達はこの玉野市こそ、日本最初の市内一周自転車道路の在る街にしたいと考えております。  玉野青年会議所は微力ではありますが、62名の全会員が総力を挙げて、青年の情熱と勇気を持って、このプロジェクトに取り組んでいく所存ですので、貴重なるご意見並びに御忠告が頂ければと思っております。 何卒心よりのご協力をお願い申し上げます。


姉妹縁組仮調印を終えて
理事長 山根敬則

戦前及び戦後を通じ韓国と日本の歴史は決して好ましい状態ではなかった。特に終戦前後のあの悲惨な経験を持つ私共以上に韓国の人たちは内地戦を数年間も経験し、その苦しみたるや想に絶するものがあります。然し年がら世界の流れからして平和への道は一歩一歩ではありますが、理想とする方向へ進みつつある事は事実です。  韓国に於ける戦後の復興は釜山やソウル空港に着いたとき目をみはるものがありましたが、これも又建国の旗印の下にその努力が着実に実を結びつつあることを痛感した次第です。本来は私どもと手をたずさえて世界平和のもとにお互いの利害を超えた友好を深めてこそ永い隣国との歴史の意義が生まれるものであったはずですが、不幸にしてその歴史の中で歯車の回転がかみ合わず、その間にいろいろの事がありましたが、はからずも今回、忠武JCとの間に姉妹縁組の気運が持ち上がり、下関JCの橋渡しが縁で3月14日仮調印の大役を果たすことが出来ましたことは大きな意味を持つものです。  仮調印の当日は忠武市長をはじめ地元の関係者、忠武JC(尹光弘)会長外多数の列席のもとに輝かしい両市の友好的な仮調印が取り行われました。特に今回の仮調印に対し紙面を借りて仮調印を無事終了したことを御報告すると共に、両氏が益々文化、経済の交流を深め良識と節度ある永遠の硬いきずなで結ばれることを願ってやみません。

1974年

第17代理事長 垣内 一郎
第4回 JCアジア青年の船
三洋工運(株) 寺田朝文

此の度東南アジアの一部フィリッピン及び香港を見るに至り私なりの知識を持って望んだのでありますが、気候、風土、政治、経済及び文化のあらゆる面に於いて主観の相違を感じました。先進国日本、そして後進国東南アジアと云う、イメージを早くも捨てなければいけない自分に気付きました。船内での研修そして寄港地に於ける青年交流によって一段と次の事を、感じたのです。  東南アジアの一国として、又は一員として、より友交を深め先進国日本として経済援助又は技術の援助だけに止まらず、底辺から我々一人一人が正しい理解のもとに、交流を努める事により、アジアの繁栄と日本との、新しいきずなを見出して行けるのではないかと思われます。一部では日本人に対する感情はきわめて良くないと云う話も聞きます。これは唯商業国相手として、又後進国として蔑ました日本人の態度が多少なりともあるのではないでしょうか。私は現地の一青年と話し合う機会を得ました。話と云っても英語に対する自身もありませんですが、相手の眼を見てさとり、手又は身体の動作によって、お互いに何かを理解出来るのです。この時程人間として喜びを感じた事はありません。私一人の話だけですべてを理解したとは思いませんが、私の思う処、マニラに於いての大企業は少なく低賃金による家内工業的組織のみで生活に於いても決して安定してないものと思われる裏にはその日々の生活が精一杯と云った人々、豊かな生活をしている人々と多様な斜向がある様です。  香港に於きましても各種の人種の中で生存共栄と云った風習が感じられます。交通機関に於いては観光地香港だけに交通の便は進歩的であり、バスと電車の輸送によるものですが、技術革新に勝る日本とはまだ差があります。又一つには治安の面に於いての警察力の弱さを感じます。各商店には警備員が到る所に居るし、日本ではとても理解する事が困難に思われます。  つきましてはJCの皆様及び関係各位の方々の努力によりこの様な機会をいただき心より感謝致します。私共もこれから先日本と東南アジアいや世界のアジアの平和と繁栄の為微力ながら努力していきたいと思います。それが為には日本の青年が冷静に世界に於ける東南アジアを見つめ正しい判断のもとに、文化の交流に努めより良い社会を作り上げて行きたいと願ってやみません。

1975年

第18代理事長 小林 文夫
深山公園児童友愛の集い

(はじめに)    今日のような日本中公害だらけ、どっちらけの世の中、交通戦争、乱開発から起因する食糧危機などの問題を取ってみても全部人間のなせる業、また成した業、由にこれらの諸問題を解決するのも人間である。人間性のいかんによって世の中大変ちがいます。人間形成のうえで絶対的に比重の大きい教育、この教育を我々玉野JC、本年のバックボーンとして、各委員会単位で役割、目的、問題点を見つけ、会員一丸となって事業に全力投球している。 (玉野市の青少年の現状と問題点)  @ 受験現況に追われ運動不足、利己主義になってはいないか。 A 学校、家庭に於いて、過保護すぎて、責任感にとぼしい。 B 創造性、協調性に乏しい。 C 地域的に環境に恵まれ、人間的に非弱くなっている。  以上の展を考慮し、下記の3事業がなされた。  ※ 事業活動(1) 教育講演会と野球教室     テーマ「がんばる心について」     講 師    村山 実氏 (元阪神タイガース監督)     と き    昭和50年2月22日午後2時〜5時     ところ    三 友 会 館     対象者    小学5.6年生、中学1〜3年生 当日入場者 1,000名余     教育講演会「がんばる心について」は最近の児童達が余りにも過保護により、ひよわすぎて、また創造性、協調性、自律心にかけていると見うけられるので、その精神を少しでもガッツなガンバリのきく     強い子供達に成長して、次期の世代を担う立派な人間になってほしいと願望して開催した。      村山氏の講演料は我々の熱意に打たれ無料であった。  ※ 事業活動(2) 「深山公園児童友愛の集い」     「深山公園児童友愛の集い」は6月の中旬玉野市深山の青少年スポーツセンターに市内小学生の児童 330名余を一同に集め、友愛を目的としてキャンプファイヤー、飯ごう水炊、夜間の肝だめし、暗夜行路等盛り沢山の行事で1日半が短く思うように楽しく、かつきびしく、行儀正しくと児童達にとっては辛くとも心に焼きつく事業であったと思う。児童達はこの行事に参加すると必然的に消極的な児童でも15〜20名の学校外の友達ができるという喜びがある。未だかつて課外活動として、このように大勢が参加する行事はなかった。 ※ 事業活動(3) 日韓児童図画交換展示会    と き    昭和50年9月3日〜9日    ところ    玉野市総合文化センター    出品点数   日本国玉野側    300点   韓国忠武側    200点    期間中入場者数    1500名余    「日韓児童図画交換展」は玉野JCと姉妹JCである韓国忠武JCとの間で児童の図画の交換を図り、    お互いの地域で双方の図画約500点を展示し市内の児童を初め全市民に絵を通して近隣友好国韓国の児童の生活様式、遊び、また風景を感じとり、児童達には夢と希望を、また一般市民には韓国への理解度を深めて頂くのが目的です。 (事業活動の青少年に与えた影響)  @ 立派な人間になることは大変な努力がいるのだということがわかった−事業活動(1)  A 家庭での行儀が良くなり、父母の手伝いをよくする用になった−事業(2) B 友人が学区を越えて多くできた−事業活動(2) C 韓国の現状と比べて我々がずっと恵まれていることがよくわかった−事業活動(3) (メンバーに与えた影響度)  @ 新会員は全員事業に参加し、特に「深山公園児童友愛の集い」には、スポーツセンターに泊まり込みで真剣に活動に取り組み、JCに参画してよかったと考えだした。 A 事業活動の市民社会への浸透と共にスリーピングメンバーもJC活動に再び取り組み始めた。 (まとめ)     対外的な関係者の比評を総合的に判断すると、ぜひこれから何年も継続してくれという要望が非常に強かった。     本年の3大事業を1本に絞り、行事内容をもつと意義あるものにしたい。「深山公園児童友愛の集い」においては、ロム行事としてではなく、ブロック全体に拡大し、児童達に友情の輪を玉野市内から岡山市内へとふくらましてやりたい。そうすれば、児童達は玉野市内から岡山市内のあらゆる所の児童とも友達ができ、友愛の精神をはぐくむのではあるまいかと希望する。

1976年

第19代理事長 立石 洋二
日本青年会議所褒賞申請理由書

(企画にあたって)   我々はAOYの推進を実施するに先立って、まず最初に、市内の青少年のニーズは何か、ということを把握することにより始めた。そのため、我々は教育委員会、小学校の先生、PTA、ボーイスカウト等の各種団体と合同会議を数十回に亘り開催した。  その結果、我が玉野市の歴史的変還を無視しては、考えられないことがわかった。つまり、玉野市は今でこそ人口8万の造船工業都市であり、且つまた、宇野港という瀬戸内の交通要衝の都市であるが、明治末期までは人口3千人程度の漁業を主体にした寒村であった。司会S、大正初期に三井系の造船所や製錬所が誕生し、期を同じくして国鉄宇野線の開通などにより、全国4万の中小都市に発展した。そのため、市民には出稼ぎ意識が強く、玉野を愛する心や、市民相互の仲間意識、或いは連帯感が非常に希薄である。しかし、子供たちにはこの玉野市で生まれ育ち、学び、働くところ、すなわち、彼らにとっては郷土なのである。  そこで、会議の結果、現在の市内の青少年にとっていちばん必要なことは、「郷土を愛する心」、「仲間との連帯感をはかる心」、「自立の心」を植え付ける事業が最も必要なターゲットである、という結論に達した。 (事業計画及び実行)  第1事業計画 「深山公園児童友愛の集い」  市内の小学校17校より6年生300名(市内膳粘性の25%にあたる)を深山公園に集め、多幸の児童とのグループ編成を36班編成し、6月12日、13日、1泊2日に日程で、玉野市の歴史、経済、行政のしくみ等を勉強させたり、オリエンテーリングを行ったり、各種スポーツ、キャンプファイヤー、飯ごう炊飯、清掃等もりだくさんの行事を自分たちが考え、グループの仲間と一緒になり、自主的に遊んだり、清掃させるように行った。  第2事業計画 「玉野まつり広場子供樽みこし大会」  玉野JC主催で7月31日に全市民に楽しんでもらうために、まつり広場を行ったが、そのプログラムの一つとして、市内小学校単位に3年生から6年生までの有志で、廃品を利用し、樽みこしを作らせ、まつり広場に参加させた。  第2事業計画 「日韓児童図画展覧会」  これからの人間は、特に国際的な視野を持ったグローバルな人間にならなければならない。そのために、まず、歴史的にも、文化的にも、距離的にも、一番身近な外国である韓国について関心を持たすことにした。たまたま韓国の忠武市とは活魚の輸出入が縁で、玉野JCと忠武JCとは、国際姉妹都市縁組を締結しているので、市内全学校8000人の児童作品より約300点を厳選し、韓国へ送ったり、また、韓国より児童作品 150点を玉野市へ送ってもらい、総合文化センターで7月25日より7月31日まで展覧会を開催し、市民の人気を集めた。 (成果) 1 児童及び地域社会に与えた影響 イ、 異なる学校の児童間に友情が生まれた。 ロ、 自分たちの町である玉野市の歴史、経済、文化を学び、改めて集団生活を行うことにより、自立心を学び、改めて郷土愛を認識した。 ハ、 親元を離れ、集団生活を行うことにより、自立心が涵養された。 ニ、 物を大切にし、廃品を利用し自分たちの手で作るという喜びを知った。 ホ、 自分たちが身近に外国というものを感じた。 ヘ、 行政及び一般市民に青年会議所の存在をより認識させた。 ト、 児童はもちろんのことマスコミ、行政、市民より事業の継続を強く要望された。 2 メンバーに与えた影響  イ、数十回の委員会開催をしたために、事業の重要性を認識し、出席率が高まり、JC運動に情熱を傾けるようになった。  ロ、メンバー相互に友情と責任感が高まった。  ハ、郷土そのものを再認識することが出来た。  ニ、今この町の児童に何がいちばん必要なことか、ということがわかった。

1977年

第20代理事長 福田 通雅
1978年

第21代理事長 尾関 烱
「つきまくった一年」今年一年を振り返って
理事長 尾関 烱

ことしを振り返って一言で表現するならば「ツキ」或いは「運」の良い一年であったと思います。  そもそも歴代理事長の中でも最も出来の悪い理事長になるであろうと思っていたのが、最も恵まれた者になれたことは何といっても会員の皆様の絶大なご協力とご指導があったればこそと深く感謝申し上げる次第であります。  今年は総見直しの年、万事地味にと言い乍ら、走り出すと止まり難いもので、ケッコウ派手な年であったように思います。なかでも国際関係の事業は最も華々しく印象深いものとなりました。山根16代理事長の年に始まった、韓国忠武JCとの姉妹縁組は、丁度満5年にあたり、その記念事業として、サッカー少年団を含む76人の訪問団を送り込み友好の輪を拡げ、その全員が無事に日本の土を踏んだ時のあの「ホッ」とした気持は今なお忘れることが出来ません。  そして5年間の集大成の意気込みを持って1ヶ月に亘り毎夜遅くまで作成した一冊のアルバムが日本JCの国際活動推進奨の最優秀賞を獲得出来たことは最も喜ばしいことでありました。そして余勢をかってチャレンジしたJCIに於いても国際姉妹青年会議所賞を受賞、その上、岡山ブロックに於いても最優秀ロム賞の受賞と玉野JC開以来の快挙となったことは、この上ない喜びであり、私自身にとっても良き人生の一頁を印すことが出来ました。  この受賞に至るまでの地道な活動を積み重ねて下さった歴代理事長とその会員の方々、サッカーとその関係の方々、そして絶大な御支援を賜りました山根日本JC監事と褒賞委員会の方々にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。  一方少ない予算と人員の中で地道な活動を積み重ねてくれた多くの会員の方々を忘れることが出来ません 。  特にJC会員の意識調査は、これからのJC活動に大いに役立つものと期待しております。  継続事業の見返しについては、その検討が不充分であったと深く反省しております。しかし幸いなことに、次年度内海理事長のもとに企画室が発足、今年の出来の悪さを充分カバーしていただけるものと期待しています。  ますます厳しさを増す経済環境の中で内海丸は、まさに出帆せんとしております。今年以上に皆様方の絶大なるご協力と御支援の程お願い申し上げますと共に最後の出番をつくって下さった広報委員会の方々に厚く御礼を申し上げ一年のまとめと致します。

玉野少年サッカー国際親善使節団随行記

去る8月15日〜19日、玉野JCは韓国忠武JCとの姉妹縁組5周年を記念し、玉野サッカー少年団を 親善使節団として派遣した。少年、父兄、一般市民、そしてJCメンバー総勢76名の訪韓団は釜山金海空港よりバス2台に分乗し3時間後、白バイ、パトカーに先導され人口約7万人の風光明媚な漁港都市、忠武に 入った。  その夜、民団主催の歓迎パーティーが行なわれ、サッカー試合を明日にひかえた、玉野忠武両少年選手達は言葉の障害も何のその、身振り手振りを交え、なごやかなうちに友情の輪を広げていった。  よく16日我々一行は沿道を埋める3万人の市民の中を、忠武市内の各学校から集まった鼓笛隊、ブラスバンドに先導され市庁舎上り競技場までの約2キロの道のりをパレードした。市内の至る所に歓迎のたれ幕が かかげられ、一行が競技場に到着する頃には、一万数千の市民がスタンドを埋め、試合開始を待ちかまえていた。  訪韓中のメイン事業である親善サッカー試合は、忠武市長による始球式によって開始され、第1試合は玉野サッカー団VS忠武市小学5,6年生によって行われたが、年令の差もあってまず玉野少年サッカー団の一勝。しかし、同学年の中学一年との第2試合においては、さすが韓国の国技とあって玉野は大敗してしまった。ここで特筆すべきは、玉野・忠武両JCの間で行われた試合に走るより転がった方が早い、玉野JCが勝ったことである。それもそのはず、イレブンの半数を子供達の指導員が占めており、絶対チョンボであると私は思うのであります。  観客約2万人という子供達にとっては初めての試合も無事終了し、夜には玉野・忠武JC姉妹縁組5周年式典が開催され、出席した父兄達も、忠武JCメンバーそしてその夫人達との友好を深め、数人の父兄はメンバーの家に招かれ、民間外交の役割を見事に果たした。  その後一行は馬山での第3試合、釜山、慶州各地の観光を行い、19日フェリーにて下関へ到着し、大事もなく玉野へとその全日程を終えた。我々一市民、そして次なる時代を担う少年達が様々な障害を越えて、異国の地に多くの友を得たことは日韓両国の間にたとえかすかであれ、一つの光を灯したと信ずる。また、子供達にとっては一生忘れられない夏となったであろう。

1979年

第22代理事長 内海 愼夫
 
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